西地域教化研修会

開催期日:2011年2月25日(金)午後1時半〜午後4時半まで
講  師:吉田 法純 先生(島松寺住職)
会  場:北海道教務所2階講堂
参加人数:46名(男性11名 女性35名)
参加寺院数:西地域6ヶ寺 組外1ヶ寺
スタッフ人数:3名

実施目的:宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌法要をお迎えするにあたり、戦国乱世の時代に、どのように真宗の教えが引き継がれてきたのかなど、宗門の過去の歴史に学ぶ

マ:戦乱の世と真宗の歴史(東西分派)?国家と宗教?

報 告

・内容

今年度の西地域教化研修会は、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌をお迎えするにあたり、戦国乱世の時代に、どのように真宗の教えが受け伝えられたのかなど、宗門の過去の歴史に学ぶ研修会を企画致しました。講師の吉田法純先生には本願寺の成立(興り)から、高田派や興正派の興りと本願寺との関わり、戦国大名との繋がりを中心とした石山本願寺史から東西分派に至るまでの本願寺史と、そこから問われてくる信心の問題、そして近代における本願寺派と大谷派の教学の差異について詳細にお話し下さいました。

・感想や反省点

この地域事業の研修会も三年目を迎えましたが、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌法要が目前に迫りながらも、ご門徒の参加があったのが四ヶ寺に止まり、参加寺院が少なかったことが非常に残念でした。各寺院お忙しい中、ご門徒の参加が適わなくとも住職様・坊守様が駆けつけて下さったことはとても有難いことでした。

しかし、参加して下さった方は、先生の講義の内容に、それまで全く知らなかったことがあったりすると、時折、感嘆の声が上がるなど、非常に熱心に受講して頂きました。このように滅多に聴講できない内容でありましたので、参加が適わなかった寺院の方には惜しい機会を逃し、もったいなかったなと大変残念に感じました。

来年度からはスタッフを入れ替え、参加者増を期待したいです。そしてこの研修会はやはり交通の便を考えると、教務所での開催が望ましいと思います。

者:原山 賢俊

東地域門徒研修会

開催期日:2011年3月2日(水)午後1時半〜午後3時半まで
講  師:速水 馨 師 北海道教務所次長
会  場:島松寺
参加人数: 55名
参加寺院数:6ヵ寺
スタッフ部門名:地域事業
スタッフ人数:2名
実施目的:御遠忌について学びを深める。
マ:御遠忌と私

報告

・内容

 速水ご講師の法話を中心に団体参拝直前の今、改めて御遠忌の意義をたずねた。

・感想や反省点

 今回は、特に御遠忌団参直前のこともあり、全ヶ寺の出席を果たせなかった。

 次回は当地域事業の方向性を見定める事を含め、協議し、実施したい。

 参加人数自体は55名であり、「御遠忌は何かを始めて来た歴史である。」「戦後50年の宗教の空白の上での御遠忌」の意義を分かり易くお話しされた先生に感謝するものであります。

者:無礙光寺 高瀬 一法

南地域門徒研修会

開催日時: 2011年3月16日(水) 午後2:00−4:00
開催場所: 北海道教務所
講師  : 九谷知正先生(第16組無量寺住職)
講題  : 今、いのちがあなたを生きている
参加者 : 50名(男性27名,女性23名)
参加寺院: 11か寺/全18か寺中
スタッフ: 巌城孝憲,明石正順,(当日スタッフ:1名門徒)

内容

今年度の南地域門徒研修会は、スタッフ会議にて検討した結果、前年度同様に、九谷知正先生に法話をお願いする形で、南地域の丁度中間の位置にある北海道教務所(中央区)を会場に、ご門徒の皆さんと共に、住職・坊守はじめ院内も聞法させていただく研修会といたしました。

講師の先生からは、「私自身が、今ここに身があるということは、私が生まれてきて、自他の問題ですが、そういう具体的なことがあってはじめて今日なのですよという。三帰依文において、「この身今生において度せずんば」ということですよ。どういうことかというと、生まれて自分を意識した時から、自分自身をどう生きていこうか、この具体的な世間と言われる中を、どう生きたらいいのかということ。どうでもいいとは言わないですよ。「この身今生において度せずんば」、これ難しいようだけど、どう生きたらいいのかということですよ。私は何者で、私はどう生きていったらいいのだろうということが、人間の生きる課題というか、それをたずねずおれないものをかかえて生きているということです。
 京大のカンニング事件があったですよね、マスコミは、A青年をつるしあげるのに躍起になっている。だけど、ふと思いました。ああぼくもカンニングやって人生生きてきましたって。大学時代、先輩のレポート写したり、先生の書いた本を丸写ししてレポート書いたということは、カンニングしたということでしょ。違いますか。そうだよね。それをどう自分が受け止めたかということを書くのがレポートというものでしょ。週刊誌や新聞をネタにして評論しているだけでないですか。その事実から何が聞こえてきたのか、分からないことは分からないですよ。
宮城先生はよく、こういうことをおっしゃってますよ。人間の問題に、無明ということがある。それは分かったつもりということだと。分からんのに、分かったふりをしなければならないのです。分からんことは分からんという所に立っていけばいいのに、分からんことを分かったふりして生きていることを無明というんですよ。ああそうだなあと思いますよ。入試の業務妨害とか。でも彼がそこまでして求めた世界があるのだと思いますよ。彼には、そういうことに踏み出す背景がある。彼が、このA青年が、どう生きるかということを考えた時に、一生懸命がんばったんだと思う。がんばったんだけど、賢善精進、こういう言葉があります。つまり、賢さでしょ。今の時代社会は、知識をどれだけ身につけているかが勝負でないですか。つまり、知っているということが武器になるというかな。そういうところありますよね。人間というのは、ほかの人が知らないことを自分が知ってたら、すぐ自慢するから。おれしか知らないだろうと。だから、たいした者ではないんですよ、人間なんて者は。覚えたことはすぐ消えていきます。六十七、八にもなったら、分かります。身についたことは消えていかないけど、頭で覚えたことは、徹底的に忘れていく。消えていく。それ感じます。ああ、老いていくということは、こういうことだなと。分かりやすく言うと、親鸞聖人の言葉で、「さかさかしきひと」。何かというと、いろんな知識で自分を飾って、守って、いろんなことを外側において批評している。
二月にNHKで無縁社会というTVありました。見られた方いますか。ちょっと名前忘れ
ましたけど、経済同好会の幹事やっている女性の方ですけど、六十くらいの方ですけど、日本を代表する派遣会社の社長です。その人の発言の中で、いろんな就職活動してなかなか就職できない若い人たちとかいて、で状況がこういうことだよと紹介する中で、ひとことですよ。「それはあなたたちの努力が足りないからです」と、こう言いましたよ。「あなたたちの努力が足りない」と。つまり逆に言うと、私はこんだけ努力をして、日本で経済同好会の幹事になるような私になりましたということを言っているんです。そこに地べたはって何とか生きていこうとする人たちをただ、「あなたたちは努力してない」、つまり精進が足りないですという。その人だけでない、私も持っているような人間のものさし、それが自力作善と言われる。」と語られて、深い感動を与えてくださいました。

報告者・巌城孝憲

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