研修名称:『アイヌ民族差別に学ぶ学習会・1・2・3』

開催期日

●第1回目「差別問題を学ぶ視座と三つの碑をめぐるフィールドワーク」

 日 時:2010年10月5日(火)午後2時〜ところ:北海御廟・青少年センター

講 師: 藤田光代氏(照願寺衆徒) 

参加人数:8名

スタッフ人数:3名 吉田 康徳 佐々木 強 石井康貴

第2回目 「樺太アイヌの墓を訪ねて、その歴史を学ぶ」

日 時:2010年10月22日(金) 午後 1時30分〜 

ところ:江別市営墓地やすらぎ苑・眞願寺(本願寺派)

講師: 清水裕二氏(少数民族懇談会会長)
    石堂了正氏(浄土真宗本願寺派 真願寺住職)

参加人数:17名 

スタッフ人数:3名 吉田 康徳 佐々木 強 石井康貴

第3回目 「真宗門徒としての私に問われる課題〜開拓史史観からの解放〜」

日 時:2010年11月22日(月) 午後 2時〜 

ところ:北海道教務所3階

講師: 藤田光代氏(照願寺衆徒) 、学習発表:佐々木強(部門員)

参加人数:16名

スタッフ人数:2名 佐々木 強 石井康貴

研修報告

 今年度、第四組社会教化部門では「アイヌ民族差別の歴史に学ぶフィールドワーク」を3回にわたって実施致しました。

 「アイヌ民族差別」については、今までも私たちの宗門で取り組んできた課題ですが、なぜ私たちは差別について学び、その課題に取り組んでいるのでしょうか。それは真宗の僧侶だからでしょうか。親鸞聖人は越後に流罪に遭われ「いし・かわら・つぶて」のごとくなる人達に出遇いました。そして「われら」と頷かれました。アイヌ民族は私たちより先にこの北海道に住む人々です。私たちは現在この地で生活をしていますが、この北海道の歴史をほとんど知らず、あたかも昔々からこの地にいたかの如く暮らしています。テーマにも挙げました「自分とは何か」、差別をする「おまえとは一体なにか」ということを、この学習会を通して報告させていただきます。

第1回目は十月五日に青少年研修センターと北海御廟を会場に研修を行いました。参加者はスタッフ三名をあわせて十一名でした。天気にも恵まれ、森に囲まれた各石碑を気持ちよくまわることが出来ました。まず黒く大きな石の板の現如上人顕彰碑前に集まりました。配布された資料を基に北海道開拓の歴史と開教にまつわるお話を藤田光代先生から聞き、私たちが住む街の始まりを学びました。また北海道の開拓によって踏みつけられてきた人達の存在があったこと、つまり明治政府は先住していたアイヌ民族を土人と呼び、道路や街づくりに労働力として酷使し、街作りを進めていったということをしりました。

次に知里真志保の墓碑に向かいました。知里真志保はアイヌの民族復興を願いながらも若くして亡くなられたということであります。その生涯は自然とともに生きて、神を畏れ敬い、エカシに聞いてゆくというアイヌの生活を訴え続けたものでした。しかしながら現代はこの見渡す限りのコンクリートビルやアスファルトの道路の下にアイヌという人たちの歴史があることを知る人は多くないでしょう。第二回目の講師、清水裕二先生が心配していたことを思い出します。それはすでにアイヌ自身が知らないということ、アイヌの子どもたちが自分たちの歴史を知らないという事実です。先生は学校教育のなかで正しい歴史とアイヌの文化を学んでほしいと言っておられました。アイヌ民族の歴史を知らないと言うことは、足を踏まれた側の痛みに全く気づいていないということでしょう。日常に帰り見れば私たちは生活のなかでも知らずに足を踏み、他者からあらゆるものを奪っているのかもしれません。

今回、このような問題を学びながら錯覚というか、偏ってしかものを見ていない自分を少し知りました。それは苦しんでいる他者に対し、アイヌということで特別視したり、特別苦しんできた者と見たり、可哀想に見てみようとしたりという見方です。そのような私は一体どこに立って見ているのでしょうか。私はいわゆる偏った見方、つまり偏見で相手を見ているという場面に何度か出遇いました。その「アイヌだから」という眼はそのまま、私自身に対しても「坊さんだから…こう在らなければならない」という自分を見る眼であります。私は全く差別とは無関係である立場か、または差別問題を通し何か成果を得るというような離れた高みからか見ている立場にあったように思えます。

私は大谷派教団に身を置き、これまで幾度か「わたしという存在は他を利用し排除し差別してゆくものである」と聞いてきました。ですから他者から問われたとき、先の言葉を言えば正解であろうと思っていました。しかし、本当にそのことを実感していない。自分の問題とならない。宮城先生の言葉に照らすと「ケロンとしている」ということでしょう。このことこそ私の中の闇であり大きな問題なのだと思います。

 アイヌの作家 鳩沢佐美夫が書いた「証しの空文」という小説には、アイヌという自己に悩む青年とアイヌという生き方を通す老婆の姿が描かれています。それはそのまま現代に生きる者への語りかけ、アイヌという生き方に対しての語りかけでありました。この青年と老婆の生き方は何か信仰を持つものの姿としてこの私に強く伝わってきました。また藤田先生には講義の中で、これまでの歩みにおける出遇い、共に学んだ仲間とのお話に触れていただき、更には私たちの持つ理知や観念の危うさ、つまりもっと大きく言えば「私たちの持つ知識や考え方が時代や国、体制、教育により作られてきたものではないだろうか」とのご指摘も受けました。わたしたちの持つ「ものさし」について、自見の覚悟ばかりですが、学ぶものの在り方への問いを投げかけられました。

 講義終了後、先生を囲み懇親会となりました。先生の出遇われたアイヌの人達のお話、アイヌ差別を学ばれた仲間とのエピソードを聞くことが出来ました。また参加した人からも意見疑問を話し合えた場となりまして一回目を終えることが出来ましました。

第二回目は十月二十二日に江別市営墓地と浄土真宗本願寺派眞願寺様を会場に実施致しました。参加者はスタッフをあわせ二十六名と多くの参加をいただくことが出来ました。天気は快晴。墓地内に並んだ石碑とアイヌの儀式跡、土に刺さるイナウを前に勤行してから研修会を始めました。

清水裕二先生の講義は私たち僧侶に関係する「開教」という言葉についての見解、また教育の現場におられた先生が感じてきたことをお話し下さいました。憲法や教育、人権についての問題と課題、また現代のアイヌに向けての教育についても真剣に語られました。そして先生の一番の願いである「おむすび社会」、つまり日本の中に存在する複数の民族や文化、そのお互いが尊重され優しく結び合うことの重要性と実現についてお話しいただきました。つまり日本国のW内なる国際化Wが先生の最終的な願いであります。そして日本に住む民族の名前を挙げたあと先生は「私はアイヌです。では皆さんは何民族ですか」と私のアイデンティティー(主体性、自己存在の見極め)に対して問い、鋭く語りかけておりました。このことは私に他のものと共に生きることができるか、そのこととはまず知ること、『自己とは何者か』との問いかけでもありました。

 講義の中盤から終わりにかけては、アイヌとして悩まれ生きてきたなかで、師であるエカシの言葉に出遇い、その師の言葉に深く自己を知らされ、その後の職場でのアイヌの“名告り”をしたことを教えてくれました。その“名告り”から今日までの決して平坦ではない道であったことをお話してくださり、そのようにお話できるまでの葛藤は大変なものと思います。しかし明るく独特のユーモアを交えながら「ア・ク・マ」(※1)の精神でお話してくれました。

本願寺派眞願寺の石堂住職は当時の写真と資料で眞願寺と移住させられたエンチウ(槐)との関わりや、当時の様子などを丁寧にお話していただきました。お寺に残る樺太移住者の過去帖のことや、毎年開かれる江別市営墓地での樺太エンチウの移住者の追弔会についても話していただきました。

※1(アクマの精神)…アイヌの方たちが差別に対しての姿勢と精神についての言葉。アは「諦めず」、クは「挫けず」、マは「迷わず」の頭文字。

第三回目は前二回に参加くださった方のほかにも多数参加していただきました。講師には再度、藤田光代先生にお越し頂き「北海道開拓の歴史から問われる仏教」というテーマでお話いただきました。

私たち大谷派教団が「北海道開拓」に大きく関わっていった事実は、あまりにも有名であります。現如上人に象徴される「新道切開」など、当時の様子は錦絵として全国に配布され、北海道開拓の正当性を伝え、移民を奨励するには充分な効果があったと思われます。この現如上人の開教開拓を皮切りにわが宗門の開教は盛んになっていきました。現在はその当時のことが我々宗門の行ったアイヌ民族差別のこととして、少しずつではありますが学習会等で問われ始めています。しかし、そのことを宗門全体の課題として全面的に取り組んでいると言うにはまだ遠く、これからの私たちに預けられている大きな課題であると感じました。

短い時間のなか藤田先生には大変大きな課題を私たちに提起してくださいました。この学習会の終わりには部門員の発表の時間を頂きました。詳しい内容は後日各寺院に配布させていただきます。

報 告 者:佐々木 強

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